2009年06月20日

呈味性ヌクレオチド

呈味性ヌクレオチド(ていみせいぬくれおちど)は、1913年に小玉新太郎博士により発見された鰹節のうま味成分であるイノシン酸、1957年にヤマサ醤油の国中明らや武田薬品工業の緒方浩一・大村栄之助・杉野幸夫らによって作られたシイタケのうま味成分であるグアニル酸など、うま味を感じさせる核酸関連物質の総称である。ヌクレオチド呈味物質とも言われる。

これらの呈味性ヌクレオチドと、うま味を生じるアミノ酸であるグルタミン酸の相乗作用が発見されたことから複合調味料が誕生し、市販されるようになった。さらにこれにより微生物による種々の核酸関連物質の生産に関する研究が進歩し、後の核酸発酵に多大な影響を与えた。その後の呈味性ヌクレオチド生産についての研究は生化学の発展に伴って多くの成果を挙げた。また、糖はリボース以外にデオキシリボースの場合にも弱い呈味性があり、イノシン酸、グアニル酸、キサンチル酸のグルタミン酸ナトリウム共存下での呈味力は1:2.3:0.6といわれ、グルタミン酸ナトリウム92%や5’-リボヌクレオチド二ナトリウム8%を含む複合調味料などが現在、市販されている。
クラシック音楽
南極と北極
への付く言葉
ザ・和歌山
産業とは!
世界の演劇
慣用句集
かの付く言葉
七五三
靴に囲まれて
自転車
婦人科
香道
遺伝子疾患
洞窟
ジョギング
債券
クリケット
通訳
アメリカンフットボール

製造法 [編集]
RNA分解法や直接発酵法、発酵と合成法の組み合わせによる方法などがある。主に発酵と合成法の組み合わせによる方法が多く用いられている。

条件 [編集]
呈味性ヌクレオチドがうま味を呈する条件として以下の三つが挙げられる。
プリン核を持つヌクレオチドであること。
プリン核の6位の炭素に-OH基を有すること。
リボースの5'位がリン酸化されていること。

2009年06月02日

太政官大書記官の金子堅太郎は伊藤博文の指示で

開拓使の廃止後、太政官大書記官の金子堅太郎は伊藤博文の指示で北海道の実情調査を実施した。その報告である「北海道三県巡視復命書」の中で、金子は屯田兵の拡大を提案した。山縣有朋や井上馨も北海道を視察して屯田兵を重視すべきとの印象を得た。永山武四郎本部長はロシアでコサック兵の制度を調べ、これを参考にして屯田兵拡大の具体策を立てた。帰国した永山が、明治21年(1888年)6月15日に、屯田兵本部長を兼ねつつ北海道庁長官に就任すると、屯田兵の改革・増設計画が急速に進んだ。
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明治22年(1889年)2月に、明治26年(1893年)までに20中隊を増設する計画が発表された。何度かの法令改正で、兵員の将来と権利を保障する制度が導入された。募集方法が変えられ、もはや士族出身者を積極採用することはなくなった。屯田兵に与えられる土地は従来の1.5倍となり、ほかに共同利用の公有地が用意された。服役期間は現役3年、予備役4年、後備役13年の計20年、満40歳までに限られた。兵村には、兵員から選挙で選ばれる兵村会が設けられた。

後期屯田では前期と異なり、札幌周辺から上川、空知へ重点が移された。過去の経験の蓄積、良好な土地選定、農民出身者が多かったことなど、好条件が重なり、後期屯田の経営は好成績を収めた。

屯田兵の廃止 [編集]
後期屯田の実施時には、既に北海道の開拓が相当に進展しており、大規模な入植に適した土地が少なくなっていた。またこの頃、北海道の人口は徴兵制で兵士を集めることが可能な水準に達しつつあり、第七師団創設につながった。新たな入植は明治32年(1899年)の上川、士別で終わり、彼らが後備役に入った明治37年(1904年)に屯田兵制度が廃止された。

2009年04月30日

渤海の海上交通

渤海の海上交通は唐、新羅、日本への通交に利用されていた。唐への交通は『新唐書』地理志に登州より渤海への交通路が記録されており、登州(現在の蓬莱県)を起点に亀歆島(現在の砣磯島)を経て烏湖海(現在の渤海海峡)を渡り、更に烏骨江(現在の靉河)を遡上し西京府に至る「朝貢道」と称される道程が示されている。

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新羅への海上交通であるが、南海府の吐号浦(現在の鏡城)から朝鮮半島の東沿岸を南下するルートと、西京府から鴨緑江に沿って海上に進み、更に朝鮮半島西沿岸南下するというルートが存在していた。しかし王都から距離のある西ルートは東ルートほど活発に利用されることはなかったようである。

日本への海上交通は「日本道」とよばれるものである。起点は上京府を基点とし陸路塩州(現在のクラスクモ)に至りそこから海上を進むというものである。海路は大まかに3ルートに分類することが出来る。その一つが「筑紫路」であり、塩州を出発した船は朝鮮半島東沿岸を南下し、対馬海峡を経て筑紫の大津浦(現在の福岡)に至るルートである。当時の日本朝廷は外交を管轄する大宰府を筑前に設置していたため、渤海使に対しこのルートの使用を指定していたが、距離が長くまた難破の危険が大きいルートであった。第2のルートが「南海路」と称されるルートである。南海府の吐号浦を起点とし、朝鮮半島東沿岸を南下し、対馬海峡を渡り筑紫に至るルートであるが、776年に暴風雨により使節の乗った船団が遭難、120余名の死者を出してからは使用されていない。第3のルートが「北路」であり、塩州を出発した後、日本海を一気に東南に渡海し、能登、加賀、越前、佐渡に至るルートである。当初は航海知識の欠如から海難事故が発生したが、その後は晩秋から初冬にかけて大陸から流れる西北風を利用し、翌年の夏の東南風を利用しての航海術が確立したことから海難事故も大幅に減少し、また航海日数の短縮も実現した。

2009年04月15日

王 捷(おう しょう、? - 32年)

王 捷(おう しょう、? - 32年)は、中国の新代から後漢時代初期にかけての武将、政治家。涼州天水郡阿陽県の人。

新末後漢初における群雄の1人として隴右[1]に割拠した隗囂の配下である。隗囂が挙兵して名声を高めると、王捷もその配下に加わり、大将軍に任命されている。

建武5年(29年)、隗囂は子の隗恂を人質として光武帝の下に送ったが、王捷は王元と共に、天下の情勢は依然として不透明とみなし、光武帝に心から服属することを望まない考えを有していた。隗囂も王元・王捷の考えに傾き、蜀(成家)の公孫述と結ぶなどして、自主自立傾向を強くしていく。建武7年(31年)には、隗囂は公孫述陣営に加わり、朔寧王に封じられた。

しかし翌建武8年(32年)になると、隗囂軍は政軍両面で次々と漢軍に切り崩され窮地に陥り、隗囂は西城(隴西郡)に追い込まれ、呉漢・岑彭率いる漢軍に包囲されてしまった。さらに包囲から1か月余りして、隗囂軍の重鎮楊廣が死去してしまう。この時、王捷は戎丘を守備していたが、城に登って漢軍に向かい、「隗王(隗囂)のために城を守る者は、皆必死にして二心を抱くことはない。漢の諸軍が撤退することを願い、自殺によりこれを明らかにさせてもらう」と呼びかけ、自刎して果てた。

その後、王元が公孫述の援軍を率いて駆けつけたため、辛うじて隗囂は冀県(天水郡)へ退却している。

チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア

2009年03月31日

秀ノ山雷五郎

秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう、本名:橋本 辰五郎(旧姓は菊田)、1808年(文化5年) - 1862年6月16日(文久2年5月19日))は、大相撲第9代横綱。
サイコ チューブ イニシャ コムデ ティーチ カクレミノ ビヨウ クロの景色 シェード テスト プラコ ノーヒッタ チャンピ シンタ シンパシー ジストニア カオリン リール ハイラ ガーター バブリ アセロ ダガナ くしがき ヒロイズム マジック さじ日本 テスラコイ ナイトツア トリップ でぃるは パーゴラ あせろら ファルス オーバ オーソラ ネイリ ビルジ マッチ ライト トスト チっつぐ ジャカー 真実の泉 フレッシ ミゼット レーション ケルシ 無情 ブーツ

陸前国(宮城県気仙沼市)出身。五尺四寸(163.6cm)という歴代横綱の中では一番低い身長。体重は四十二貫(161.5kg)。小柄であったため入門当時は雑用ばかりやらされ稽古もつけてもらえなかったが、この逆境が猛烈な闘志を生んだ。北山辰五郎の四股名で前相撲から取り、雲州藩のお抱えとなり天津風雲右衛門と改名。八代横綱不知火諾右エ門と同時入幕。盛岡南部候の抱えに転じて立神と改め天保12年閏正月大関昇進を飾る。1度関脇に下がって岩見潟丈右衛門と改名。天保15年10月再び大関となって3日目の土俵から秀ノ山を襲名した。弘化4年9月(弘化2年11月とも)、39歳(38歳とも)で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかった。優勝相当成績6回。幕内通算27場所112勝21敗33分2預96休、勝率.842。その姿は多くの浮世絵に残されている。肥満体で前や横に脆い弱点を猛稽古で補った。四股名のまま年寄となり、12代横綱陣幕久五郎ら多数の力士を育て権勢を揮ったがその余り自分の弟子を優遇するようになったため他の力士たちの不興を買い、「嘉永の紛擾」と呼ばれる相撲史初のストライキを引き起こしてしまった。

享年56。墓は東京都江東区の普門院と岩手県一関市の願成寺にある。

2009年03月16日

治承4年末までには(1180年)

治承4年末までには(1180年)、平氏の勢力基盤である西国においても伊予の河野通清・河野通信父子、翌治承5年1181年には豊後の緒方惟能・臼杵惟隆・佐賀惟憲ら豪族が挙兵し、伊勢志摩においても反乱の動きがあった。さらに東国においても平氏方であった佐竹氏などが頼朝によって討伐されるなど、反乱がいよいよ深刻化してくる。

このような中で、清盛は京都を中心に新体制を築こうと、畿内近国の惣官職を置いて宗盛を任じた。天平3年(731年)に京・畿内を対象に兵馬の権を与えられた新田部(にいたべ)親王の例に倣ったものであり、畿内近国に兵士役と兵糧米を課して臨戦体制を築いた。また丹波に諸荘園総下司職を設けて、平盛俊を任じた。さらに越後の城資永、鎮守府将軍・藤原秀衡に源頼朝・源信義追討の宣旨を与えている。2月26日には重衡の鎮西下向を中止し、宗盛以下一族の武士が東国追討に向かう事が決められていたが、清盛は27日に熱病に倒れた。死期を悟った清盛は、自分の死後はすべて宗盛に任せてあるので、宗盛と協力して政務を行うよう法皇に奏上したが、返答がなかったため、恨みを残して「天下の事は宗盛に任せ、異論あるべからず」と言い残し、閏2月4日に九条河原口の平盛国の屋敷で死去した。享年64。

病状の記録から、恐らくは大陸から伝来して流行していた風土病であるマラリアに罹ったものと思われる。ちなみに、当時の日本は現在よりも気候が温暖であった。清盛の死により、平氏の新体制作りは計画倒れに終わってしまうのである。なお、『平家物語』では清盛が死に臨んで「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」と遺言を残したとしている。これは平安時代末期の武士の感覚からはありえない遺言であり、後年の創作であるとも言われている[要出典]。『玉葉』によると、死去した年の8月1日、頼朝が密かに院に平氏との和睦を申し入れると、宗盛は清盛の遺言として「我の子、孫は一人生き残る者といえども、骸を頼朝の前に晒すべし」と述べてこれを拒否している事から、頼朝への激しい憎悪があった事は事実と思われる。
いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ

死後と評価 [編集]
清盛の死後、嫡男の重盛はすでに病死し、次男の基盛も早世していたため、平氏の棟梁の座は三男の宗盛が継いだが、凡庸な宗盛は清盛のような器量もなく、全国各地で相次ぐ反乱に対処できず、後白河法皇の奇謀に翻弄され院政勢力も勢力を盛り返すなど、平氏は次第に追いつめられていった。しかも折からの飢饉(養和の大飢饉)という悪条件なども重なって、寿永2年(1183年)、倶利伽羅峠の戦いで平氏軍が壊滅した後、源義仲の攻勢の前に成す術無く都落ちする。そして元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いに敗れて平氏は滅亡した。

『平家物語』における悪虐、非道、非情の描写から、平清盛は古来成り上がり者の暴君、という評価が定着していたが、一方で実際の清盛の人物像は温厚で情け深いものだったともいわれている。『十訓抄』7-27には、若い頃の清盛について「人がとんでもない不都合な振る舞いをしても、冗談と思うことにした」「やったことがちっともおかしくなくても、相手への労わりとしてにこやかに笑い、とんでもない誤りをしても、役立たずと声を荒げることはない」「冬の寒い時に身辺に奉仕する幼い従者を自分の衣の裾の方に寝かせ、彼らが朝寝坊をしていたらそっと床から抜け出して存分に寝かせてやった」「最下層の召使いでも、彼の家族や知り合いの見ている前では一人前の人物として扱ったので、その者は大変な面目と感じて心から喜んだ」という逸話が記されている。

清盛の非道を示す有名なエピソードである「殿下乗合事件」は、清盛が松殿基房に報復したというのは平家物語のフィクションであって、実際には非道な報復を行ったのは重盛であり、『玉葉』や『百錬抄』の記述によれば清盛はむしろ基房に謝罪的な行為を示したと言われる。事件の背後には平氏と摂関家の強い反目があったと考えられる。

また平治の乱前後の清盛について『愚管抄』に「ヨクヨク謹ミテ、イミジク計ラヒテ、彼方此方シケル」とあり、如才なく諸方に気を配る人物であり、複雑な院政期の政界を生き抜く処世術を持っていた。しかし大きな権力を持つようになり、それを維持するために院・摂関家・寺社勢力と対立していく過程で強引な手段に出るようになり、評判も悪くなったのである。『源平盛衰記』では僧侶の祈祷によって雨を降らせた事を偶然に過ぎないと一蹴したり、経が島では清盛が人柱を廃止したという伝説があるなど、迷信に囚われない開明的な考え方の逸話も見られる。また、政治的には日宋貿易に見られるような財政基盤の開拓、経が島築造に見られるような公共事業の推進など、時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治に新生面を切り開いた優れた政治家であった。

軍記物の影響から政治上手の戦下手の印象もあるが、実際には平治の乱で複数の部隊を連携させた戦術で源義朝を打ち破っているばかりか、御所や市街地の被害も最低限に抑えることに成功しており、「洗練された戦法(評:元木泰雄)」を得意とする優秀な指揮官である。

また、京都でも大きな勢力をもつようになっていた仏教勢力の抑制に努めた人物でもある。皇位継承問題に干渉した興福寺と園城寺に総攻撃をかけたことは当時は評判が悪かったものの、強大な武力をもつ宗教勢力が皇位継承のような重大な政治問題に関わることを止めた意義は無視できない。皮肉なことにこの政策は敵である鎌倉幕府に僧兵を擁しない禅宗や念仏宗の保護といった穏健化した形で受け継がれていく。

2009年03月01日

グルエルフィン銀河

NGC4594、またはソンブレロ銀河(M104)として知られていた銀河系。カピン人の故郷。
アリバヌム
グルエルフィン銀河におけるカピン(ガンヤス人)の中心世界。
ディープパープル星系
グルエルフィン銀河におけるタケル帝国の中心世界。33個の惑星から構成されている。
タケラ
第11惑星。タケル帝国の主星。
モリル=モリマ
グルエルフィン銀河南縁に存在する無名の星系をめぐる惑星とその衛星。惑星がモリル、衛星がモリマと呼ばれる。タケル人によってモリマ地下にカピン史上最大最強のウルトラ・ペドパイラーが設置されていた。

テルロシュ赤色星雲
グルエルフィンの辺境星域に位置する直系132光年のガス塊。中心部には全長3000メートルのペドパイラーや超大型転送機、制御ステーションなどが置かれ、グルエルフィン銀河とモルシャスダス小銀河の間の連絡手段として機能していた。
モルシャスダス小銀河
グルエルフィン銀河の衛星銀河。直径696光年の球状星団でグルエルフィンからは8万4562光年離れている。20万年前ガンヨ失踪によるグルエルフィンでの内戦激化によって、ガンヤス人はこの銀河に逃れた。
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

大マゼラン星雲
大マゼラン星雲は銀河系の伴銀河。

キーガン星系
キーグ
タイガーI
ファースト・ストップ星系
ファースト・ストップ
孵化星系
デンジャーI
ボウル星系
ボウルタト
ミシラ星系
プフラナト
モデュラ星系
モデュラII
モデュラIII
その他の惑星
デンジャー14
デンジャー27
デンジャー28

タイガー・セクター
ナヴォ北

小マゼラン星雲
小マゼラン星雲は銀河系の伴銀河。

アンカレッジ星系
シェラノ
ヴィザリア星系
ウキアー
クロス星系
タイフーン
ネオ星系
フアス星系
バイカロブ
プリズン星系
プリズンII
ブルーバード星系
その他の惑星

BAY-1

ポジション・エヴァグリーン

大小マゼラン星雲近傍
物質の橋
エネミー星系
ウレブの本拠地。

アトラス
ウレブI
マルケット星系
ポート・グラド
その他の惑星
オスターI(球状星団)
グラットン
ごま

その他の銀河
ナウパウム銀河
「銀河のチェス」サイクルにおけるローダンの“脳オデッセイ”の舞台となる架空の天体。直径は16万光年。銀河系との位置関係は不明。ローダンの脳が“反それ”の陰謀によって漂着した3457年時点において深刻な人口過剰状態におかれており、居住可能惑星は全て居住されつくしている。同時点での最大の国家は「ナウパウム・レイチャト」である。
ツォオルノム星系
10個の惑星から構成されている。
ヤアンツァル
第4惑星。3457年にローダンの脳が漂着した惑星。首都はノパロール。ナウパウム銀河における最重要惑星の一つで、「PGT(パラレギュラー等価移植)法」と呼ばれる臓器移植技術が同銀河において唯一可能であるため、「脳マーケット」と呼ばれる臓器売買市場が存在し、臓器移植を担当する科学者・外科医も多数居住している。
パストレイヴ星系
14個の惑星から構成されている。
レイト
第6惑星。ナウパウム銀河最大の国家「ナウパウム・レイチャト」の中心世界。首都はマクツァドシュ。320億の人口を抱えるほどの過密状態で、空気・水・生活空間が深刻なほどに不足状態におかれている。
カトロン銀河
「銀河のチェス」サイクルにおけるローダンの“脳オデッセイ”の舞台となる架空の天体。直径は16万光年。銀河系との位置関係は不明。ナウパウム銀河に最も近い銀河であるが1億400万光年離れている。太古においてはペルトゥスがこの銀河を支配していたらしいが、3457年時点では既に滅亡している。
ヴィルゴ銀河群
おとめ座銀河団のこと。
NGC3190銀河
「七種族の公会議」を構成する種族の一つであるラール人の発祥世界。銀河系からは2100万光年の距離に存在する。
クマシイ=プツアン銀河
「七種族の公会議」を構成する種族の一つであるヒュプトンの故郷世界である渦巻銀河。銀河系からの距離は不明。
プローン銀河
「星のメールストローム」の片方に連なる天体で昆虫種族プローンの故郷世界。銀河系からの位置関係は不明。

その他
ドルーフ宇宙
ドルーフ空間とも呼ばれる。
シアメド星系
ドルーフォン
ハーデス
その他の惑星
ソリチュード
星のメールストローム
3460年にアルキメデス恒星三角形を経由して太陽系を脱出した地球と月が到達したポジション不明の領域。2つの島宇宙(片方はプローン銀河でもう一方は不明)をつなぐ星間ガス、宇宙塵、恒星や惑星、エネルギーの嵐からなる細長い橋で、全長は約15万6000光年。銀河系からの位置関係は不明。約20億年前に2つの銀河が衝突した事で生成された。2つの銀河が衝突しながらすれ違い、その際に引きちぎられた物質が長い時間をかけて遠ざかっていく2つの銀河を結ぶ橋を作った。エネルギー的には不安定で、中央部の一番細い部分は自然に生成された転送受け入れ部となっており、太古から恒星転送機をくぐった数多の物質を実体化している。
メダイロン星系

2009年02月10日

日本教育史

日本教育史(にほんきょういくし)は、日本の古代から現代までの教育のあり方とその歴史、教育観、教材、制度などの変遷を扱うものである。教育学の一般的な教養の一つの部門でもある。
フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

古代日本の教育について、多く知られているとはいえない。しかし、山上憶良の「貧窮問答歌」などにも見られるように、親が子を思い、そのために何かをしてやりたいという気持ちは時代が違っていても変わることはなかったようで、資料の残っている以前から、親や大人たちが子どもや若者が1人前になっていく上で、何かの手助けや指導をしていたことは想像に難くない。

施政にあたる人物で、最初に教育に関心を示したといわれるのは、聖徳太子(574年-622年)である。彼は、飛鳥時代の政治家。本名は厩戸(うまやど)皇子で、上宮(うえのみや)王・豊聡耳(とよとみみ)などともいう。 理想主義的な哲人政治を志向したが、書物としての教育論は残していない。 冠位十二階、十七条の憲法の制定、遣隋使(小野妹子)の派遣、四天王寺、法隆寺などの建立などが主だった業績である。経典を研究し「三経義疏」(さんぎょうぎしょ)という注釈書を書いたが、これに彼の教育思想、「一乗思想」が色濃く反映されている。つまり、すべての人に等しく教育を説き、理想の実現と人間平等の考え方である。教育についての日本では初めて思想として提起されたものになる。

最初の教育の制度というのは、大宝律令(701年)による教育制度の確立である。これが、日本で最初の成文化された教育の制度になる。この骨格は中国唐の国子監制度から持ちこまれたものである。

その仕組みは、大学寮が中央(都)に一つ設けられた。式部省の所管で、明経道(経書)、算道(算術)および副教科の音道(中国語の発音)、書道(書き方)の四学科があり後に紀伝道(通称「文章道」、中国史・文章)と明法道(法律)が加わった。これらの「明」は、それについて「明るい」(ことの次第によく通じた)という意味である。

その他にも、専門的な技術者養成機関としては典薬寮、陰陽寮、雅楽寮などがあった。これらでは医、薬、針、按摩、陰陽、天文占術、暦、雅楽などを教授した。

当時の学生は、大半は大学寮内に寄宿していており、代表的なものとして菅原清公(道真祖父)が設立して菅原氏・大江氏の管理下にあったとされる文章院がある。これに対して有力な氏族は大学別曹(だいがくべっそう)のような特別な寮舎(りょうしゃ)を設けて、一族の師弟をそこに収容した。これらは独立性を持ち、寄宿舎で、同時に研究所的な性格を持っていた。和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、王氏の奨学院など。大学寮という公的機関を巡る氏族対立の副産物のような存在で、貴族政治の台頭を背景としていた。また、菅原氏などの学者が公務以外に私邸などを使って門人を教育するなど、私立学校の萌芽のようなものもこの時代から現れるようになる。

だが、平安時代後期から官司請負制のもとで官職の世襲化が進み、大学寮の教官も特定の氏族の世襲となって、教官たちは世襲の存続のために自己の子弟・一族や限られた門人に対してのみ限定して、大学寮外の自宅などで教授するという家学化が進んだ。更に1177年の大火で大学寮や文章院が焼失すると、再建されることなく放置され、公的教育機関としての大学寮は消滅することになる。

鎌倉から室町時代の教育
鎌倉時代から室町時代には、京都の貴族が古典研究や有職故実の学問の担い手となっていた。しかし、都の衰退と共に、仏教寺院や学識僧が徐々にその担い手として台頭し、その中でも鎌倉五山を中心とした五山文学はその代表である。

また武家階級という新たな社会層も、自らの後進のために、学問を身につけるための施設、学校の整備に配慮するようになり、鎌倉時代には北条実時が金沢称名寺(現、神奈川県横浜市金沢区)に金沢文庫を設置し、多くの文書を収集した。また、遅れて室町時代には関東地方において上杉憲実が足利学校を再興する。これは、キリスト教の宣教師たちに「坂東の大学」といわれ、当時の日本の中心的な学校と考えられた。また西洋人の目からみて、その当時の代表的な学校は、他に高野山、比叡山などがそれに並べられていた。

庶民の間では、芸事や趣味の道が次第に洗練されたものになり始め、『風姿花伝』のように芸の道を人間の道と重ね合わせて修行のありようを考えるという視点も、この武家階級の時代の産物である。(芸道論)

江戸時代の教育
江戸時代の教育制度は、士農工商の身分制度を反映して、二極化していた。武士身分を対象とした学校は、幕府直轄の学校と、諸藩が運営した藩校に大別され、その規模、内容共にこの時代を代表する教育機関であった。一方、庶民の一般教育を引き受けたのは寺子屋である。他に郷学、塾(私塾)などにおいても教育が行われた。

幕府直轄の昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)は、昌平坂に面していたので昌平坂学問所、または昌平黌(こう)とよばれた。1790年(寛政2年)老中松平定信は、寛政の改革の一環として、柴野栗山・岡田寒泉を湯島聖堂付きの儒者に登用し、湯島聖堂あずかりの林家に対し朱子学擁護を命じた。この「寛政異学の禁」の後、学舎が増設され、旗本・御家人だけでなく、藩士・郷士・浪人らも聴講ができるようになった。1793年に林述斎(じゅっさい)が林家をついで大学頭となると、それまで林家の家塾だった「湯島聖堂」が、正式に幕府直轄の学問所となった。

学問所では、毎月の定日に経書の講義や会読、小試・大試などの試験もおこなわれた。また、初学者のための学問所直轄の教授所が深川・麻布・麹町にあった。さらに、『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』『新編相模(さがみ)国風土記稿』など、幕府の編纂事業も学問所がおこなっていた。そして、このような学問所は藩校のモデルとなり、江戸時代後期には、藩校の教官養成の機能も果たしていた。
藩校(はんこう)は、江戸時代、諸藩がおもに藩士の子弟のために設立した教育機関であった。藩学・藩学校・藩黌(こう)とも書いた。内容や規模はさまざまだが、藩士の子弟はすべて強制的に入学させ、庶民の子弟は原則的に入学できない。広義には医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関をふくむ。藩によって異なるが、一般に藩校では「文武兼備」をかかげ、7-8歳で入学してまず文を習い、のち武芸をまなび、14-15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容も藩によって異なるが一般に四書五経の素読と習字を中心とし、江戸後期には蘭学や、武芸として剣・槍・射・砲・馬・柔術などが加わった。

江戸前期、武断政治から文治政治への移行を背景に、1641年(寛永18年)岡山藩主池田光政が設立した花畠教場(はなばたけきょうじょう)が最初の藩校である。しかし、全国的に藩校が設立されたのは宝暦期(1751年-1764年)以後であり、多くの藩が藩政改革のための有能な人材を育成するために設立した。発展期には全国に255校、ほぼ全藩につくられた。藩校の隆盛は地方文化の振興にもつながった。代表的な藩校には、米沢藩の興譲館(1697年)、会津藩の日新館(1799年)、水戸藩の弘道館(1841年)、岡山藩の花畠教場(1641年)、長州藩の明倫館(1719年)、熊本藩の時習館(1755年)、薩摩藩の造士館(1773年)などがある。

寺子屋は、庶民のための学校で、読み、書き、算を教えた。寺子屋では往来物と称される教科書が使用されていて、『実語教』、『童子教』、『女大学』などがよく使われた。読み書きが中心だが、寺子屋の師匠と教え子たちのつながりは、かなり長く続いたようで、房総半島では、そうした師匠が亡くなったのち、教え子たちがそのお墓をつくったものが、「筆子塚」として多数残っている。筆子というのは、寺子屋で教わった教え子の意。

郷学(ごうがく)は、江戸時代の教育機関の中で、最も多様な内容を含んだものであった。藩学校が武士の師弟を教育し、寺子屋が庶民を対象として、読み書き算盤を教え、塾がその中間にあって武士も庶民も教えたという中で、郷学は教育内容の面では、それらとかなり重複する側面を持っていた。形態は、藩が設立し、藩学校の分校のようなものから、庶民を対象にしたもの、藩と庶民が協力して設立したもの、庶民のみの手になるものなどがあった。藩が設立したものでは、岡山藩の閑谷学校(しずたにがっこう)が有名。

江戸後期には、医学を中心に蘭学の塾(私塾)が興隆した。緒方洪庵の適塾が有名。寛政異学の禁、蛮社の獄などの弾圧。

明治時代以後の教育
明治維新では昌平坂学問所は新政府に接収され、併設された開成所(天文方の流れを組む)、医学所(種痘所の流れを組む)も共に1869年(明治2年)昌平学校、開成学校、医学校として再開し、同年大学本校、南校、東校となり、のち合わせて大学校となるが、1870年(明治3年)の学制改正で休校。そのまま廃校となった。1877年(明治10年)、再びこれが東京大学として復活。1886年(明治19年)帝国大学令で「帝国大学」と改名。後、1897年(明治30年)に京都帝国大学新設により東京帝国大学へ改称。旧制高等学校が2つの高等学校令(1894年および1918年)に基づき設置。

教育勅語、学校令、学制。国民皆教育、国家主義教育、修身教育。 学制、発布

戦後の教育
GHQの指導などをふまえ、新たな制度を確立されていく。その後、受験戦争、ゆとり教育、総合学習などが話題に上がり、教育社会学的な議論がなされるに至った。

主な事例
アメリカ教育使節団報告書
「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」
学制改革
高校三原則
教育基本法・学校教育法
教科書検定 - 歴史教科書問題
ゆとり教育

2009年01月24日

傭兵基地アッセンブルEX-10の責任者

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ゴン・ヌー
声 - 玄田哲章
傭兵基地アッセンブルEX-10の責任者であるクメン王国軍の将軍で、風貌そのままの一癖も二癖もある人物。右目は義眼になっている。ビーラーゲリラとの戦いの途中、ロッチナを介し本来はクメン政府と対立関係にあるメルキア軍と密約を結ぶ。そして奪われた素体を奪取し、戦後はメルキア軍に受け入れられる予定であったが、内戦の最終局面であるカンジェルマン宮殿での戦闘の最中にメルキア軍に裏切られ、同宮殿にて死亡したものと思われる。
カン・ユー
声 - 広瀬正志
キリコが所属したアッセンブルEX-10のAT部隊長で、階級は大尉。パイロットとしての実力はなかなかだが、人望、指揮能力に見るべき物はない小悪党。キリコを目の敵にして様々な嫌がらせを行うが、それが高じてゴン・ヌー将軍からの命令を無視した暴走を繰り返すようになり、部下からも信頼を失っていった。クメン編ラストであまりの卑劣さを見かねたル・シャッコにより高所から投げ落とされ、死亡したとされる。「ペールゼンファイルズ」エンディングのイラストや、劇中の写真の中にも登場。
ヒロラム・カンジェルマン
声 - 寺田誠
クメン王家の第3王子で王国親衛隊長で改革派だったが、突然クメン王国の性急な近代化路線に異を唱えて反乱を起こし、神聖クメン王国を建国した。しかしその真意はクメン王国の旧体制を象徴する者として、自分もろとも古い体制を消滅させ、クメンに真の意味で新しい時代を到来させようという「狙った負け戦」を意図したものであった。農民層を中心としたビーラーゲリラに加え、秘密結社と手を組むことで神聖クメン王国は急速に勢力を拡大したが、メルキア軍の軍事介入によって崩壊。目的が達成された彼は、かつての子飼いの部下であり友であったポタリアとの決闘による死を選んだ。(コミックボンボンでののなかみのる作画のコミカライズ版では別の結末となっている)
ポル・ポタリア
声 - 速水奨
元クメン王国親衛隊員でアッセンブルEX-10のエース格の一人。カンジェルマンのかつての部下であり友人で、「俺」「お前」で呼び合う仲であった。クメン編の後半ではキリコ、ル・シャッコ、キデーラらとともにPS奪取作戦に参加する。愛機はダイビングビートル。
ブリ・キデーラ
声 - 郷里大輔
アッセンブルEX-10のエース格の一人。当初はキリコにつっかかって行くことが多かったが、キリコの腕を認めてからはさり気なくサポートするようになる。金に汚い一面もあるが、戦友には概して親切である。愛機はダイビングビートル。クメン編ラストでイプシロンと戦い戦死。

サンサ編登場人物
ムサ・ザンジニイ
声 - 田辺宏章
ゾフィー・ファダス
声 - 山口奈々
惑星サンサの中古兵器ブローカー。かつてのサンサ星攻略戦で家族を失っており、レッドショルダーに対して激しい憎しみを抱いている。ゴウトの取引先の一つであったが、元レッドショルダーであるキリコを執拗につけ狙った。

OVAの登場人物
ヨラン・ペールゼン
声 - 大塚周夫
『ザ・ラストレッドショルダー』『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』『ペールゼン・ファイルズ』に登場。メルキア軍将校にして特殊部隊レッドショルダーの創設者。百年戦争当時の階級は大佐、終戦時には少将。理想の戦闘集団作りに傾倒する彼は「いかなる訓練、強化も優れた人的素材にはかなわない」「通常の人間からは理想の兵士は生まれない」と考えるに至っており、戦時中に見た「真空中でも死なない緑の泡に包まれた赤子」に衝撃を受け、以来「死なない兵士」をその戦闘集団に組み込むことを画策するようになる。その過程で「異能生存体(ペールゼンが命名した、生存確率が桁違いに高い生命体の呼称)」であるキリコの能力を渇望するも、「全てに疑いを持ち反抗的で支配されることを拒む」キリコの存在を憎むようになり、抹殺を図る。レッドショルダーの多大な戦果により軍部での地歩を固めるが、訓練中の死亡者の異常な多さや民間人の大量虐殺などが露見した事により終戦後失脚、その後は秘密結社に身を寄せて己の理想を追求していた。デライダ高地の施設に旧レッドショルダー隊員たちと潜伏、ここでイプシロンの開発に成功するが、キリコ、グレゴルー、バイマン、ムーザに施設を襲撃され、バイマンの機銃掃射を受け死亡する。
異能生存体の研究文書は後に「ペールゼン・ファイルズ」と呼ばれるようになり、『孤影再び』の時代でも軍人の間では伝説的な存在となっている。
グレゴルー・ガロッシュ
声 - 小林清志
『ザ・ラストレッドショルダー』『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』に登場。キリコのレッドショルダー時代の仲間で階級は先任上級曹長。バイマン、ムーザといった札付き隊員のリーダー格。気合を入れる時両手で顔を叩く癖がある。レッドショルダー隊に編入されたキリコを刺客ではないかと疑うが、リーマンのキリコ抹殺命令を遂行中にキリコの生存率の高さを確信し、以降バイマン、ムーザと共に仲間として行動するようになる。百年戦争終戦直前の転属先で瀕死の重傷を負い除隊。その後自らを陥れたペールゼンへの復讐のため、キリコを含めたかつての仲間を集めデライダ高地にある施設を襲撃する。PSとして覚醒したイプシロンの操るATブラッドサッカーの攻撃からキリコを救おうとして倒される。
バイマン・ハガード
声 - 塩沢兼人
『ザ・ラストレッドショルダー』『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』に登場。キリコのレッドショルダー時代の仲間で階級は伍長。札付き隊員の一人であり、ニヒルな皮肉屋で斜に構えた態度を見せ、ムーザとは時折衝突する事もあった。終戦直後の転属先で右手を失い義手に交換していたが、ペールゼン襲撃の際にもそれを悟られまいと本心を隠していた。デライダ高地施設の襲撃において敵(元レッドショルダー)と激闘、満身創痍でペールゼンの元へ辿り着き復讐を果たすが、その直後に力尽き死亡する。
ムーザ・メリメ
声 - 中尾隆聖
『ザ・ラストレッドショルダー』『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』に登場。キリコのレッドショルダー時代の仲間で階級は伍長。グレゴルー、バイマンと並ぶ札付き隊員の一人であり、寡黙で実直な性格の故バイマンと衝突する事もあったが、家族や戦友には忠実であった。終戦直後の転属先の作戦内容を家族に漏らしたとされ、そのために家族を殺されている(情報漏洩が事実かは不明)。キリコ達をペールゼンの元へ行かせるため、追ってきたイプシロンの駆るATブラッドサッカーを食い止めようと交戦し死亡する。
ラダァ・ニーバ
声 - 広瀬正志
『ビッグバトル』に登場。バララント側が開発したPS。PSと言っても生化学的手法を取るギルガメス製と異なり、身体に機械を埋め込まれているサイボーグである。ア・コバの街で「デンジャーメロン」のリングネームでバトリングをしていたが、実はバトリングを利用してのテストが目的だった。自分に瀕死の重傷を負わせ恐怖を植え付けたレッドショルダーを憎み、そのレッドショルダーだったキリコを殺すことに異常なまでに執着する。「人質として捕らえたフィアナの自由を奪ってATに乗せキリコたちを攻撃させる」「地上戦艦へのダイレクトリンクを施させた後、味方であるはずのバララント技術将校たちを殺害する」など、ギルガメス側PSとは違い、強い凶暴性が見られる。
エンディングクレジットでの表記は「ニーバ」であるが、「ニーヴァ」と表記した資料も存在し、混乱が見られる。語源はLada Niva。
バージル・カースン
声 - 竹村拓
『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』に登場。キリコと同期入隊のレッドショルダー隊員であるが、その正体はペールゼンを警戒しレッドショルダーの実態をつきとめようとするギルガメス軍上層部が送り込んだスパイであった。キリコを利用して任務を果たすが、第3次サンサ攻略戦の激戦の中で戦死する。
小説『ザ・ファースト・レッドショルダー』によれば、この名は偽名である。
インゲ・リーマン
声 - 池田勝
『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』に登場。ペールゼンの右腕で、惑星オドンにあるレッドショルダー基地司令官。階級は少佐。グレゴルーたちからは基地を収容所になぞらえて「所長」のあだ名で呼ばれている。「理想の兵士は徹底した訓練から生まれる」というペールゼンの考えに共感していたが、後にペールゼンが異能生存体説に転ずると異を唱え、第3次サンサ攻略戦ではキリコが異能生存体である可能性を否定するため自らATで挑むも、相討ちとなって死亡する(後述)。また、劇中にてリーマン機かと思われるブレードのついたATの残骸と彼と思われる遺体が描かれている。
ファーストネームは小説版でも記述がなかったが、『ペールゼン・ファイルズ』第1話の軍事法廷のシーンで初めてフルネームが出た。また、長い間不明のままだったサンサ戦での死因も、『ペールゼン・ファイルズ』1巻のライナーノーツにてキリコと相討ちとなり死亡したと設定された。
ペールゼンとはキリコをめぐって対立したが、手法はともかく訓練教官としての手腕は優れていた。AT乗りとしての技量も超一流であり、相討ちになったとはいえ、キリコが搭乗するATを撃破した数少ない対戦相手の一人である。これは、フィアナやイプシロン、ティタニアのような特別な処置を全く施されていない普通の人間を相手にキリコが撃破された唯一の例となっている。サンサ戦の後、キリコが自分の理想を実現する存在ではないと悟ったペールゼンは軍内部の影響力保持のため自分にとってレッドショルダーの重要性が増したと認識し、リーマンを失ったことを惜しんでいる。
テイタニア・ダ・モンテウェルズ
声 - 松岡洋子
『赫奕たる異端』に登場。氾銀河的宗教結社マーティアルの枢機卿モンテウェルズの一人娘。少女時代に交通事故で瀕死の重傷を負い、父親の手で次世代PS・ネクスタントに生体改造された。マーティアルへの貢献および高い戦闘能力を評価され、「秩序の盾」の称号を受ける。父の命を受けキリコ(この時代、キリコは「触れ得ざる者」と呼ばれ、「力は信仰と共にある」と説くマーティアルの教義に矛盾する存在と位置づけられている)の抹殺を図るが、戦いの中でキリコに惹かれてゆく。アレギウムに移送されてきた半蘇生状態のフィアナをキリコへの配慮から完全に蘇生させるが、皮肉にも、この判断が取り返しのつかない悲劇を招いてしまう。「補助脳」の発動によりキリコをAT戦で圧倒、機体を撃破した数少ない人物(その他は初回戦闘時のプロト・ワン、OVA・本編でのイプシロン)。
ヴィアチェフラフ・ダ・モンテウェルズ
声 - 山内雅人
『赫奕たる異端』に登場。氾銀河的宗教結社マーティアルの枢機卿にして惑星マナウラに中枢を構えるマーティアル第9セクターの指導者。かつてはギルガメス連合に属するマナウラ軍の士官であった。次期法皇の座を狙い、己の権勢を高めるため、ネクスタントに改造した娘・テイタニアを遣わし、キリコの抹殺を企てる。首尾よく法皇の座につくものの、テイタニアが敗北したショックで廃人となってしまう。
ゴディバ
声 - 江原正士
『赫奕たる異端』に登場。惑星マナウラの軍医長。かつてはマーティアルにて医学の研究をしていたが、キリコの扱いを巡って医学的見地からマーティアル本山アレギウムに異を唱え破門された過去を持つ。宇宙都市コンプラント墜落後、キリコを保護し治療したのを期に、アレギウム襲撃まで行動を共にする。アレギウム戦ではキリコから半蘇生状態のフィアナの再凍結を依頼されるが…。
医学者といっても、たいへん陽気な性格な男である。32年の時を経て再び天涯孤独の身で世に投げ出されたキリコにとって、新たな、そして貴重な相棒となった。

2009年01月17日

王城はシャイニング・ヒル、ロードス島東南の王国

王城はシャイニング・ヒル、ロードス島東南の王国。北部でヴァリス・アラニアと国境を接する。西部には海を挟んでモス地方があり、南部沖合いに暗黒の島マーモがある。

アラニアの王家とは縁戚関係であり、またアラニアに次ぐ歴史を誇り、伝統的に武力より文化を重んじる国柄であったが、新興マーモ帝国の急襲の前に脆くも崩壊する。

英雄戦争後もマーモ帝国による圧政が続いたが、出奔していた王族唯一の生き残り、第三王子レオナーによる「カノン自由軍」の活躍で解放された。

マーモ
ロードス島の南部に位置する島、もしくは島を領土とする国家。アレクラスト大陸からは「呪われた島」と呼ばれるロードス島においても、格段に闇の力が強く「暗黒の島」と呼ばれる。ロードス本島との交易や人の交流は断続的に続けられており、完全に孤立した島と言う訳ではない。闇に属する生物などが多く棲息している。

神話の時代に、邪神カーディスの呪いを最小限に食い止めるため、大地母神マーファによりロードス島本島から切り離されたとされる。その為か沿岸部は切り立った崖が多い。北部にある港町サルバドがロードス本島の海の玄関口となっている。南部は「闇の森」と呼ばれる原生林が広がる。闇の森にはダークエルフ、蛮族、妖魔、魔獣が棲息している。マーモ王城地下の大空洞には、一説にはカーディスの亡骸であるともいわれる巨大なカーディス像が存在している。

暗黒神ファラリスの教団や暗殺ギルド、闇の眷属、闇の森の蛮族などの大小の諸勢力が割拠しており、統一国家が誕生することも歴史上に幾度かあったが、そのほとんどが極めて短命のうちに滅亡している。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

魔神戦争後、六英雄の一人「赤髪の傭兵」ベルドがマーモ帝国を建国し、短期間で極めて強固な支配体制を構築することに成功する。ベルド亡き後は、アシュラム(暗黒騎士団団長)、バグナード(主席宮廷魔術師)、ショーデル(ファラリス教団最高司祭)、ルゼーブ(ダークエルフ族長)の有力者4名による評議会が統治した。

邪神戦争によりマーモ帝国は滅亡し、フレイム王国の領土となった。後にフレイム領マーモ公国を経て、独立国マーモ王国となる。

その他の国家・地域
これらの国家・地域の他にも、いくつかの独立した集落が存在している。

帰らずの森
ロードス島南東部に広がる森林地帯で、アラニアとカノンを分かつ国境ともなっている。ロードス島のみならず、フォーセリア世界で所在が判明している唯一のハイエルフ居住地。妖精界の住人だった頃の特性を色濃く残すハイエルフ達は数千年の寿命を誇り、長老に至っては「神話の時代」に光の神々によって召還され闇の神々と戦った時代から生きている正真正銘の「妖精」である。
「始原の巨人」から生まれた「世界樹」を起源とする極めて誇り高い古代種族であり、変化を嫌う性格から古来より他種族と交わることを避け、魔法によりハイエルフ以外は立ち入り禁止の地とされていた。同種の末裔であるエルフ族でさえ避ける。後にカノン自由軍に参加していたパーンとディードリットにより古の結界は解かれる事になるが、古来からの習慣は根強く残っており、好んでこの地に足を踏み入れる者はほとんど居ない。
鏡の森
モス公国北部にあるエルフの代表的な集落。古代樹の一種「黄金樹」を中心としていたが、魔神戦争では魔神軍の急襲を受ける。
エルフの集落はここ以外にも、マーモ島を除くロードス各所に複数存在していると思われる。カノン領内にあったエルフの集落は英雄戦争時のマーモ領有時代にほぼ全てがダークエルフによって殲滅されたが、邪神戦争後には、カノンのみならずマーモ島にもエルフの集落が作られ始めている。
鉄の王国
ロードス島北東部の白竜山脈にあり、魔神戦争後はロードス唯一となったドワーフの国家。国王は「石の王」と呼ばれる。
人間の国家間の紛争にはほとんど関与しないが、魔神戦争時にはおよそ五千のドワーフ戦士団がモスを目指したことからも分かるように、その戦力は他のロードス国家群と比べても遜色ない規模と実力を誇る。また、ドワーフ族特有の工芸品や美術品の産地であるため、財政面でも豊かだと思われる。
白竜山脈の麓にあるターバのマーファ大神殿とは古くから良好な関係を築いているが、一般に人間社会には関心が薄い。
石の王国
ロードス島南西部のモス地方にあり、魔神戦争の発端となったスカード王国の更に南(ここより南には「最も深き迷宮」しかない)に位置し、山全体を刳り貫いて作った一大地下王国を築いていた。国王は「鉄の王」と呼ばれ、ドワーフ族特有の工芸品・美術品の産地として財政的は豊かだが、食料はほぼ全て外部に依存している。兄弟国「鉄の王国」と同じ様に人間の国家間の紛争に関与することは基本的にないが、唯一「エールの誓い」により結ばれた隣国スカードの実質的な後ろ盾となっていた。
人口は一万余りで隣接するスカードと同程度だが、数千の屈強なドワーフ戦士団の強さは折り紙付きで、モス公国内の大国相手でも互角以上と言われ、魔神戦争で強大な魔神軍団の奇襲に10日間戦い続け、フレーベを除き全滅する。
南北の大門を繋ぐ大通りは文字通り山を貫通する巨大なトンネルで、そこから縦横に張り巡らされた支道や坑道はモス地方のみならずロードス島の各所につながり、最終的にはロードス島の反対側(北東部)にある兄弟国「鉄の王国」にまで繋がっていたと伝えられる。その多くは魔神との戦いの最中に閉ざされたとされる。(少なくとも「鉄の王国」側は閉ざした。大地下道網の一部を魔神が利用したとも言われる。)
自由都市ライデン
ロードス北西部にある商人たちによる自由都市。かつてはロードス島北西部全体を版図としたライデン王国の王都でもあった。王国滅亡後は有力な豪商たちで評議会を作り、自由都市国家として統治していた。魔神戦争期に魔神の首に賞金をかけ、「百の勇者」を集めるという役割を担った。
英雄戦争後は、マーモのロードス本島侵攻の影響で混乱が続いていた。そのためライデンは評議会を解散し、自らフレイムの保護下となることで事態の収拾を図った。