日本政府はポツダム宣言を受諾するに際して
第二次世界大戦末期、日本政府はポツダム宣言を受諾するに際して、同宣言には天皇大権を害する要求は含まれないとの解釈が正しいか否かについて、連合国に対して回答を求めた。この照会に対して連合国側は、その解釈の正否には触れず、いわゆるバーンズ回答の中で、日本の最終の政治形態はポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明される意思により決定されるべきことを言明した。日本政府は、この回答を了承した上で、1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告した。
バーンズ回答における日本の最終の政治形態に関する文言は、日本の最終的な政治形態の決定権は日本国民が有するという意味であり、法的には国民に主権が帰属するという意味である。すなわち、ポツダム宣言の受諾は、天皇主権から国民主権へ、主権の所在の移行があったことを意味した。主権の所在の移行を、法的な意味での革命と解し、ポツダム宣言の受諾を八月革命と称した。
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もっとも、主権の所在が移行し、法的な革命があったとは言え、大日本帝国憲法の全てが破棄されたわけではなく、国民主権原理に抵触しない限りで存続していた。そのため、形式的には、大日本帝国憲法の改正手続に従い憲法が改正された。ポツダム宣言受諾後に行われた総選挙で、新たに主権者となった国民の代表者として衆議院議員が選出され、衆議院が中心となって、内閣がGHQの指示を受けて起草した大日本帝国憲法改正案(日本国憲法案)を審議した。この改正案審議は、国民と直接的な関係を有しない貴族院でも行われ、若干の修正が加えられたが、修正後に衆議院の議決を経ている。また、主権者の地位を失った天皇の裁可により改正は成立したが、裁可の段階では修正は行われていない。このように、実質的に日本国憲法は、新たに主権者となった国民によって制定された憲法となる。
以上のように、ポツダム宣言の受諾により日本の主権の所在は国民に移行し、これを革命(八月革命)と擬制することで、その後制定された日本国憲法の国民主権原理は、ポツダム宣言受諾に伴う主権の所在の移行を宣言したものと理解する八月革命説が説かれた。