16世紀末から17世紀半ばにかけて、李朝は文禄・慶長の役、丁卯胡乱、丙子胡乱及び明清交代と立て続けに国難に晒され続けることになる。まず文禄慶長の役では、それまで小国視していた日本に、一時は国土の大半を占領されるまでの敗北を喫し、対日優越意識が打ち砕かれることになる。この敗北の衝撃は、1764年第11回の朝鮮通信使の一員であった元重挙が帰国後、日本側の戦勝意識と朝鮮側の敗北意識を払拭する「臥薪嘗胆」の意を込めて『和国志』に壬申倭乱戦勝論を展開するほど後々まで尾を引くことになる。こうした滅亡の危機を明の援軍に救われることで李朝は事大の意義を再認識し、「再造の恩」と呼んで崇明の念を新たにすることになる。一方、女真族の後金(後の清)が台頭すると、李朝はそれまで夷狄視し藩属扱いしてきた女真族に従い難く、丁卯胡乱、丙子胡乱と二度にわたり抵抗するが大敗を喫し、三田渡において国王自ら三跪九叩頭の礼をもって清へ臣従を申しでて、事大、事夷を強いられるはめに陥る。さらには明清交代によって、文化的にも政治的にも心の支えであった明の滅亡を経験する。
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これら一連の動乱により、李朝の小中華的政治観は根底から覆されることになる。また文化的観点からも、崇拝の対象であった明が滅亡してしまい、一方、新たな中華帝国の支配者である清は李朝にとっては夷狄であり中華文明の後継者とは認め難く、小中華思想は文化の面でも見直しを迫られる。こうした中、「中原の中華文明は明と共に滅び中華文明の最優等生である朝鮮こそが正統な中華文明の継承者でなければならない」として、李朝は自身を残された唯一の中華文明の後継者と認識するようになる。